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国旗・国歌

 もう何年にもなることですが、特に国旗・国歌法案が成立してから、学校の教師などが卒業式などの式典で国歌斉唱時に、起立や伴奏を拒否するなどのニュースをよく目にするようになりました。つい何日か前にもそうした記事がありましたが、そうした行為の理由としてあげつらわれれるのはどうやら決まって憲法にある個人の思想・信条の自由のようです。
 ここで国旗・国歌の歴史であるとか、その意義などはもうすでに色々なところで論じられているのでここでは触れませんが、問題なのは生徒を立派な社会人にする役目を担った教師が、「個人」的な理由で、生徒にとって一生に一度の式典を台無しにすることをなんとも思っていないことです。まぁ、普段言いたいことを言えずストレスがたまったりする教員としては、そうしたところで自分のイデオロギーを不特定多数の人の前で主張できてさぞスッキリするでしょうが、式典とは厳かに、規律を以って成り立つもので、社会的な倫理よりも個人の考えを優先させ、挙句に処分した学校を訴える、というのはちょっとお門違いだと思います。
 こうした自己中心性がここまで蔓延し、近頃言われる道徳の崩壊をまねいているのも、一言で言えば戦後日本の失敗だと言えるのではないでしょうか。個人の価値を強調するアメリカのナショナリスティックぶりは言うに及ばず、僕の今住んでいるオーストラリアでも、国への忠誠、愛着ぶりは子供から大人まで、普通の日本人の感覚からすればちょっといっちゃってると思えるほど、定着しています。オーストラリアが国際試合で勝つと国歌を大声で歌いながら通りを闊歩する者多数、国旗入りのシャツ、タオルはもちろん、リュックやマグカップまで国旗をあしらったものが普通に使われています。そうすることも公共心のひとつのようです。
 これは極端な例でしかありませんが、いきなり「国」という大層なことを考えずに、まずは家族、そして学校、地域、それぞれの共同体の中ではぐくまれた歴史や文化を知ろうとすれば、個人の好き嫌いは別にしても、そこから公共の場での国旗・国歌への身の処し方も自ずと身につくのではないでしょうか。

# by hikiouji_and_yama | 2007-03-10 23:27